【 薬物乱用、依存症、200人の証言−第2部 】
【 ドラッグとセックス 】
[売春、チェンジ、薬物体験]
18歳の時、渋谷の地下でケーキとパンを売っていました。給料のほとんどが過食代に消えました。そこで、19歳の時、新宿の歌舞伎町でホステスを始め、すぐに売春をするようになりました。ある日、お客さんに、チェンジをされました。(チェンジというのは、売春婦の交代要求のことらしい --- 筆者註。)この世界に入って1年。初めての体験で、屈辱でした。ちょうど過食の時期だったので、体重が標準の上限を越えていたためだと思いました。それで、行きずりのパキスタン人がくれたコカインをやってみました。鼻からストローで吸います。気持が良かったけど、はまるところまではいきませんでした。その後すぐ、覚せい剤をやり始めました。お客のひとりがただでくれたのです。当時、32歳の変な人でした。いつもブツブツ、「無力を認めた」とか、「やめられないことを認めた」とか言っていました。その男はポンプ(注射)、私はアブリでした。体重は減りましたが、すぐに薬物乱用の地獄に落ち込みました。(22歳女性、1990年代。2004頃訃報を聞きました)
[風俗嬢、薬物体験]
キャバクラなんかでは、よく女性を引き留めるためにシャブを使うと聞いたけど、私のいた風俗のお店では、マネージャーが、未成年と薬物使用にはすごく厳しくて、ドラッグやっていることが分かると、すぐに、「もう、来なくていい」と言って追い出していました。客にはよく覚せい剤を勧められましたが、私は手を出しませんでした。お店も私も、プライドを持って、お仕事をしていました。(22歳女性、2003年)
[風俗嬢、シャブと売春]
18歳の時、お客にシャブを性器にふりかけられたことがあります。頭がカーとするだけで、気持ち良くはなりませんでした。19歳の時、仕事が疲れるので、シャブを使いました。20歳になったら、シャブは止めようと思っていました。28歳の現在でも、シャブと売春から抜けられません。シャブを買うために売春し、売春を続けるためにシャブを使うのです。(28歳女性、2003年)
[覚せい剤、性虐待]
赤城高原ホスピタルに入院して2カ月、とりあえず、覚せい剤の欲求は何とかやり過ごしています。私にとっての変化は、それよりもSEXの方です。男性に言い寄られても、NOと言えるようになりました。今も二人の男に言い寄られていますが、「絶対にいや」と断り続けています。そんなの当たり前と人は言うかもしれないけれど、私にとっては、幼児期の性虐待以来、SEXの誘いを断るということは20歳の今までなかったことです。(20歳女性、1998年)
[ドラッグとセックスの連鎖反応]
17歳の時、ほんの好奇心からマリファナをやってみました。2度目のマリファナ使用でボーとしている時にレイプされました。ドラッグをやっていなければ危険を察知できたはずなのに。ドラッグをやっていなければ抵抗して逃げられたはずなのに。ドラッグをやっていなければすぐに両親や警察に話せたはずなのに。ドラッグをやっていなければ適切な治療を受けられたはずなのに。ドラッグをやっていた私は、その事件を忘れて、なかったことにしようとしました。今から考えると最悪のシナリオでした。その後すぐに私は覚せい剤を使うようになりました。 6カ月後にはドラッグ代金をかせぐために売春をしていました。
私のようなケースは少なくありません。一度ヤクを始めると、連鎖反応のように、危険な人間関係、危険なセックス、もっと危険なドラッグへと進行します。そして今が良ければ先のことはどうでもいいという人生観になり、人生の破滅へとつながっていきます。止められないのです。(23歳女性、2002年)
[シャブとセックス]
シャブをやっていると、すっごくセックスしたくなっちゃうの。初めての人のところでも「抱いて」とか言って行っちゃう。セックスは、何度も何度も上り詰めて、ずっと死ぬまでくっついていたくなる。良すぎるのが問題よね。シャブなしセックスがばからしくなる。だけどお、まあ命がけね。あと1週間しか生きられないと医者に言われた人は試してみたら。えっ、そんなときセックスするかって? あたしはするかもよ。(19歳女性、1990年代)
[シャブとセックス]
警察は、性感が良くなるということは、否定していますし、マスコミも興味をあおるからということであまり触れたがりませんけど、私の知っている限りではこれは本当。私にとって、シャブとセックスはワンセットでした。ほとんどスポーツ感覚でした。膣に入れたり、ペニスにふりかけたりします。確かに、気持が良いですよ。このためにシャブがやめられなくなるという人もいますね。でも、試してみる前に、命と引き換えのセックスでもトライするかどうか考えてみた方がいいですよ。(25歳女性、2000年)
[シャブ、エレクト不要]
シャブをやると立ちっぱなしになるという人の話を良く聞くけど、僕の場合は、逆に立たなくなります。だけど頭の芯がツーンとして、絶頂感がいつまでも続きます。だから立つ必要がないんです。エレクト不要です。(24歳男性、2001年)
[覚せい剤とオナニー]
覚せい剤が入ると性欲が高まり、マスターベイションが止まらなくなります。徹夜してやり続けて、最後には尿道から出血したり、包皮が赤く腫れあがったりするまでやめられません。たいていはその後に膀胱炎になります。(22歳男性、2002年)
[SとH]
私の場合は、S(覚せい剤)をやるとHが良くなる、というよりか、とにかく止まらなくなるという感じ。一晩中、疲れを知らずやりつづけてしまう。Hにハマるの。Hだけじゃなく、何にでもハマってしまう。脱毛していたら、2−3時間ぶっ続けでやってしまうし、ダチと電話で話していたら、5時間くらいすぐにたってしまう。(22歳女性、2000年)
[覚せい剤、セックス]
覚せい剤をやると必ずセックスしたくなります。全員かどうかは知らないけれど、そういう人は多いようです。 私の場合、これは覚せい剤だけで、コカインの時にはそういう気持にはなりません。(20歳女性、1998年)
[シャブ、歩いているオ〇〇コ]
シャブをやっている男とつきあっている女性に言いたいのだけど、シャブをやり続けていると、女性が歩いているお〇〇こにしか見えなくなってくる。少なくとも僕はそうだった。僕だけじゃなく、シャブをやると女性が女性じゃなくて、ただのメスとしてしか見られないって、言ってる人が多いよ。(26歳男性、2001年)
[シャブマン]
仲間うちではシャブ付セックスのことを「シャブマン」と言っていました。シャブを使うとセックス したくなるし、恥ずかしさがなくなるし、性感が良くなるから、セックス産業では、シャブの使用はつきものです。セックスフリークは、自分でもシャブを使うけど、シャブの怖さを知っている男は、自分は偽薬を使って安心させてパートナーだけにシャブを使わせます。売春組織では、栄養剤だとか言ってだまして女性に飲ませます。(23歳男性、2001年)
[エロス、シャブ]
エロティックな妄想に溺れて死にたければシャブはお勧めです。僕も危なく死ぬところでした。僕は死にたくないから死ぬほど苦しいけど何とかシャブをやらずに生きています。(24歳男性、2000年)
[覚せい剤、MDM、セックス]
私の場合は、覚せい剤をやってもセックスはよくなりません。MDMを使ったときは、やりたくてたまらなくなりました。(20歳女性、2000年)
[スピードとアダルトビデオ]
僕にとって、スピードとポルノビデオはセットでした。アブリをやって、1晩中ビデオを見ながら、マスターベイションをやり続けるのです。入院して、覚せい剤をやめてからも、ポルノビデオはやめられませんでした。どうしても少し刺激が欲しくなり、いろいろな合法ドラッグを試しました。ほとんどシャブに戻りそうになったところで、考え直して、すべてのポルノビデオを処分しました。(26歳男性、2001年)
[レイプ被害、覚せい剤、怒り、男性恐怖]
高校2年の時のレイプ被害と覚せい剤の使用は関係ない、と思っていました。でも入院して使用をやめたら、どこにも持って行きようのない怒りが爆発して止められません。それに男性恐怖も苦痛です。3年間の使用中には一度も経験しなかった感情です。(22歳女性、1990年代)
[援助交際、覚せい剤]
高校1年から援助交際をしていましたが、そのことと覚せい剤をやり始めたことは、自分では関係がないと思っていました。援助交際の客から薬物を勧められたことは何度もあったし、仲間の何人かが覚せい剤をやっていることは知っていましたけれど。今はどう思うかと聞かれると、ウ−ン、・・・。(22歳女性、1990年代)
[シャブを買う前に入院させて]
20歳、現役の売春婦です。ホンサロで1日7、8人の客を取ります。ひとり40−60分、料金は、1.5万円―2万円。店と女の子が折半です。指名料が2千円つきます。本番は必ずゴムを使用。フェラは生だけど、直後にイソジン液でうがいをします。定期的に婦人科で性病チェックをしています。私は清潔好きだから、カンジダしかやったことがありません。婦人科医に洗いすぎだといわれたほどです。
<言っとくけど、私は買春の客じゃないし、婦人科じゃなくて精神科医、嗜癖問題の専門家ですよ。何しに来たの>
あっ、大事なことを言い忘れていました。シャブは15歳の時始めました。ポンプ(注射)です。シャブと売春と過食症がほとんど同時に始まりました。シャブは、はじめは3ヵ月に1度くらいだったけど、今は月に1週間。やり始めたら、1日3回注射、2パケを使い切るまで1週間やり続けます。1パケが1―1.5万円。1週間やると、もうフラフラ、2日くらい寝たきりになり、その後のそのそ起きだして、お仕事(売春)です。プッシャー(売人)が逮捕されたし、仕事から帰ってアパートの自分の部屋に入ると、カーテンの影に人の気配がするし、もうそろそろ潮時かと思い、受診しました。シャブをやめると過食嘔吐がひどくなるけど、どうしてもシャブを止めたいのです。貯金が100万円あるから、これでシャブを買う前に入院させてください。
<なるほど>(細部にこだわる説明癖の初診患者。20歳女性、2002年)
[フラッシュバック]
13年前、15歳の時にレイプされた男の顔を思い出し、パニックになってしまいました。思い出したくないのに、顔のイボや鼻毛、体格、レイプの後の会話など、反芻してしまうのです。少しずつ思い出すということができなくて、記憶が洪水のように押し寄せてきます。どうにもたまらず、3ヵ月ぶりに手首を傷つけてしまいました。考えてみたら、以前には、こういう時に、シンナーやシャブを使ったり、処方薬のまとめのみをしていました。(28歳、2000年)
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[体全体がひとつの性器]
ポンプ(覚せい剤の静脈注射)をやると、体中が性感帯になった気がしました。髪にそっと触れられただけで鳥肌が立ちました。全身がひとつの大きな性器になったんだと思いました。自分はもう人間じゃない、と思いました。そして今度はその自分の考えにぞっとしました。自分は化物になった。これはだめだ。それが治療につながるきっかけになりました。(25歳女性、2003年)
【 医療 】
[近所の薬局、ウット、お得意さま]
近所の薬局では店員さんと顔見知りになって毎日ウット(鎮静剤)を2箱買っていました。実は私は最近2年間に10回くらい自殺未遂を繰り返していました。救急車で7回くらい運ばれましたが、もちろんこのことはこの薬局には内緒にしていました。その薬局では薬剤師がいてもいなくても、お金さえ払えば、いくらでも売ってくれました。いつも大量購入をしていました。「お得意さまだから」とウットを1度に20箱(240錠)、在庫があるだけ買ったことがあります。自殺(未遂)の時には、ウットとリスロンS(精神安定剤)をそれぞれ1ダース(各120錠)位のんでいました。(25歳女性、2002年)
[警察官、処方薬依存]
ストレスの多い職場で、不規則な生活でした。今から考えると、私の上司はどうみても、アルコール依存症でした。朝から酒臭かったのです。その上司からは、 「警察官だから、シャブだけはやるな」と言われていました。私は酒を受け付けない体質だったので、睡眠薬と精神安定剤を常用していました。精神科顧問医に出してもらっている薬だから、大丈夫だと思っていました。でも次第に使用量が増えて、昼休みにも安定剤を飲むようになりました。クスリを飲み過ぎて、勤務中に居眠りしたり、ミスをしたりするようになり、専門病院に入院しました。(28歳男性、2001年)
[医療職、処方薬依存]
看護師という仕事柄、睡眠薬と安定剤は簡単に手に入りました。最近5年間は、入退院を繰返すようになって、最長でも3カ月以上勤務を続けられません。この5年間に、私と同じ看護職の処方薬依存に4人会いました。そうそう、外科医のソセゴン依存にも会いました(ソセゴンは、医療用合成麻薬)。(27歳女性、2005年)
[懲りないヤク中に協力する医者]
18歳からマリファナ、19歳からLSDを使用、27歳のとき、覚せい剤使用で逮捕され、懲役1年半、執行猶予3年になりました。28歳時、シャブ仲間から聞いた精神科クリニックでうつと眠気を訴えたら簡単にリタリンを処方してくれました。たちまちリタリン乱用になり、眠られないので、デパス処方も追加してもらいました。1年後に、リタリンとデパスの大量服薬をしたため、専門病院に入院になりました。退院した後で、また別の精神科クリニックを受診したら、「薬を止めているなら、今は薬物依存症じゃないでしょう」と言って睡眠薬を処方してくれました。自助グループにはなじめないので、そちらのクリニックに行きたいのです。紹介状を書いてください。(30歳男性、2004年)
[リタリン、ヤク中を作る薬局と医者]
町の小さな薬局で、リタリンを欲しいというと、「本当はダメなんだけど」と言いながら、1瓶100錠のリタリンを売ってくれました。ついでにその薬局では、エフェドリンも手に入りました。乱用がひどくなって、足りなくなると、小さなクリニックで「朝からどうしようもない眠気で困っているので、リタリンが欲しい」というと、驚いたことに、いくつかのクリニックでは、大した質問もなく、患者の言うままにリタリンを処方してくれました。新宿方面のある薄汚いクリニックは、リタリンを簡単に大量に出してくれることで有名でした。いつ行っても、私と同じようなヤク中が、うようよしていました。数カ月後のある日、行ってみると待合室がガラガラになっていました。医師は、「法律が変わってリタリンの処方ができなくなった」と言っていましたが、ヤク中仲間は、「当局の監査で指導があって、院長がこってり油をしぼられたんだよ 」と噂していました。(25歳女性、2006年)
[リタリン、対人恐怖症、ナルコレプシー]
リタリン1日20−30錠を1カ月続けたところ、情緒不安定になって、落着かなくなり、精神科に入院することになりました。リタリン乱用のことは医師にも話さなかったので、「対人恐怖症」と診断されました。その後怖くなって、しばらくはリタリンをやめていました、3年後にタクシー運転手を始めてから、また乱用が始まりました。薬物乱用関連の本に、日本ではナルコレプシーの治療に使うと書いてあったので、図書館でナルコレプシーの症状を調べて記憶し、都内の精神科クリニックを 回って、リタリンを欲しいというと、半分くらいのところでは、簡単に出してくれました。たった一人だけ、初診で、はっきりとリタリン乱用の可能性を指摘し、危険性を説明してくれた医師がいました。2年後にリタリン依存でボロボロになって、専門病院に行ってみたら、その医師がいました。「生きているうちに来られたから、いいじゃない」と言ってくれました。(25歳男性、1997年)
[リタリン+安定剤+睡眠薬、2万錠の向精神薬
] 都内のクリニックをハシゴ通院したり、病院や薬局で盗んだりして手に入れた処方薬で、「朝はリタリン、昼間は安定剤、夜は睡眠薬」というクスリ漬け生活をしていました。あるクリニックで、院外処方箋の名前と処方量を自分で書き換えて薬局に行ったのが運のつきで、警察に捕まりました。取り調べ中に禁断症状が出て、精神病院に緊急入院になりました。その間に、警察による自宅の捜索があり、大量の処方薬を押収されました。私が、高校卒業後の5年間で溜め込んだ処方薬です。「2万錠の向精神薬乱用」というタイトルで、マスコミから報道されました。(24歳男性、1996年)
[対人恐怖、処方薬依存]
対人恐怖傾向があり、高校生の時、通院し始めたクリニックの医師が出してくれた処方の中から好きな薬を選んで、多めに飲んでいました。睡眠薬とか安定剤とかです。2週間から4週間の長期処方をしてもらって、毎週通院しましたが、ほとんど何も言われませんでした。どんどん乱用になって、薬がもっと欲しくなると、クリニックのはしごをしました。「医者からもらった薬がわかる本」を参考にして研究し、自分でいろいろな薬の組み合わせを試しました。(25歳女性、2002年)
[精神病院、薬漬け、リスロンS]
中学3年で不登校になり、お情けで卒業させてもらいました。家庭内暴力傾向のため、18歳で九州の精神病院に入院になりましたが、そこで私は処方薬漬けになりました。一人では立てなくなり、最終的には背中に褥創(床ずれ)ができて、やっと母親が退院させてくれました。でもその後は、逆に薬なしでは、苦しくて生きていけなくなり、薬をガバガバ出してくれる病院をはしごして、それでも足りずにリスロンSを薬局で買って乱用するようになりました。いま24歳ですが、薬ガブ飲みでの入院も5回以上になります。(女性、2002年)
[精神病院、多剤乱用]
15歳でシンナーを始め、16歳からは覚せい剤使用、ブロン(鎮咳剤)や大麻もやりました。19―20歳頃は、アルコール漬けでした。23歳以降は、再び覚せい剤に戻りました。ホスピタルに入院してから担当医に指摘されましたが、最近では安定剤の乱用もあります。懲役2年、執行猶予(3年)期間中なのに、まだやめられません。(29歳男性、2004年)
[ADHD、リタリン]
アメリカにいた2年間、ADHD(注意欠陥多動性障害)という診断で、リタリン20mgを毎日飲んでいた、と日本の精神科クリニックで言うと、簡単に同じ処方を出してくれました。2年間アメリカにいたことは本当ですが、リタリンを飲んでいた(乱用していた)のは友人(高校生)で、ADHDと言われていたのはその友人の弟(中学生)でした。薬物乱用傾向のあるその友人からリタリンをもらって、私もたまに使っていたのです。アメリカでもリタリンを手に入れるのは簡単でしたが、日本ではもっと簡単でした(19歳男性)。
[リタリン処方、精神科医への対応]
妻は、4年前(22歳当時)、軽うつ状態で医師に処方されたリタリンが止められず、だんだん量が増えて、最近では毎日20錠のむようになり、けいれん発作を起こして、ホスピタルに入院になりました。妻の入院中に私は、リタリンを最初に処方し、2年間継続投与し続けた医師とその後、妻の求めに応じてずるずるとリタリンを増量した医師に直接会って、二度と妻にはリタリンを処方しないようにお願いしました。両医師(精神科医)とも、誠実に対応し、処方しないことを約束してくれました。二人とも、リタリンの依存性についてよく知らなかったといい、一人の医師は丁重に私に謝ってくれました。
[リタリンにお別れ]
どうしてもリタリン乱用が止められず、前医にもらっていたリタリンを持ったままホスピタルに入院しました。入院前は1日10―20錠飲んでいたのを、6錠から漸減して、3週間で完全に中止しました。死ぬほど苦しくて、閉鎖病棟に入ったり出たりしました。情緒不安定になって、真夜中に退院すると大騒ぎしたり、泣き喚いたりしました。今日はまだ、リタリン処方をもらってないと言い張って、看護婦さんをだまして2回分のリタリンをもらったこともありました。退院前、残っていたリタリンを処分してくださいという文書に署名した後、「最後に一目だけ(リタリンを)見せてほしい」と言って、リタリンとお別れしました。こんな苦しい思いはもう2度としたくありません。(追加情報:退院後3ヵ月目からこっそり使用再開、6ヵ月目に隠し切れなくなり再入院になりました。第2回退院後2年目現在クリーン) (24歳女性、2003年)
[スプレー、ゴキブリ?]
14歳のとき、汗止めスプレー吸引からスタートしました。切れると、禁断症状が苦しくて苦しくて、何でもいいから吸いたい。死んでもいい、と思ってしまうんです。家にあるガスやスプレーを片っ端から試してみました。最後はゴキブリ用スプレーまで試しました。一口吸って投げ出しました。アレはお勧めできません。好みに合わなくて良かった。はまったらゴキブリと一緒に駆除される所だった。私の好みは男性用ヘヤースプレー。なぜと言われても困ります。好みの問題だから。女性なのに、男性用ヘヤースプレーを買いあさり、多いときには1日30本も吸っていました。専門病院に入院して2年。この頃心の底から止めたいと思うようになってきました。もう少しで止められそうな気がします。
[分裂病?]
「俺の背後に竜がいる」「女の人の声がする」「お姉さんがいるか、昔いたような気がする」(実際は一人っ子)などとおかしなことを言うので、両親に精神科に連れてこられました。シャブのことを内緒にして、昔のシンナー使用のことだけを医者に話したら、分裂病の可能性が高いと言われて、閉鎖病棟に入れられました。1ヵ月間の治療で妄想もなくなり、シャブのことを話したら、嗜癖の専門病院に転院になりました。覚せい剤を使うと、時に分裂病と区別が困難な幻覚妄想状態になるのだそうです。(19歳男性)
[処方薬乱用、主治医と大喧嘩]
16歳から時々シンナーを使っていましたが、聞かれなかったので黙っていました。21歳の時、情緒不安定と、不眠で精神病院に通院を始めました。だんだん処方薬依存になって、乱用をし始めました。薬の要求や通院回数が増えてくると、主治医が処方を渋るようになりました。最終的に「一切処方しない」と言われ、主治医と大喧嘩をしてしまいました。25歳の現在も、まだ処方薬、市販薬依存から抜け出せず、専門病院に入院しました。
[処方箋コピー]
軽うつ状態が続いていて、「難治性うつ病」という診断のもとに処方されたリタリンとハルシオンの量がだんだん増えてきました。初めは簡単に処方してくれた主治医(精神科医)も乱用の臭いを嗅ぎ取って処方を渋るようになりました。仕方がないので、記入済みの院外処方箋のカラーコピーをとって、別々の薬局で重複して調剤してもらいました。3回は成功しましたが、4回目に注意深い薬剤師に見破られてしまいました。主治医に、治療しないと警察に突き出すと言われ、とうとう専門医療機関に入院することになりました。専門医の話では、処方箋の書き換えやカラーコピーによるリタリン詐取がはやっているとのことです。(28歳、男性)
[薬物乱用:利尿剤]
過食+嘔吐を9年間続けています。この5年間は利尿剤(ラシックス)を1日3回(多いときには5回)使っています。開業医を3ヵ所かけまわって、むくみがひどいと訴え、出してもらっています。ほかにハルシオンを時々まとめ飲みして、救急車で運ばれます。とうとう専門病院に入院になりました。(25歳、摂食障害女性)
[初診患者に大量のリタリンを処方]
リタリンを乱用してトラブルばかり起こす息子から保険証を取り上げましたが、最近、自費診療で医者回りをして、リタリンをもらっていることが分かりました。息子からその2ヵ所の診療所を聞き出し、両親で処方医師に会いに行きました。抗議するのではなく、今後、リタリンを処方しないように、依存性の注意をしてくれるようにお願いしたのですが、ひとりの医師(内科、脳神経科)には、「患者に処方を要求されると断るのは難しい」と言われました。もうひとりの医師(内科、小児科)には、「相手は嘘をついてだますのだから、こちらこそ被害者だ」と言われました。脳神経科医は1日6錠を2週間分、小児科医は1日8錠を30日分と、両方の医師とも、初診の自費診療患者に大量のリタリンを処方していました。(32歳、リタリン乱用息子の両親)
[保険で買える覚せい剤]
2002年に法律が改正されて、リタリンの長期投与が可能になったとかで、リタリンの入手が容易になりました。ある精神科クリニックで、ナルコレプシーという診断で、リタリン6錠を14日分出してもらい、同じ日に別の精神科病院(初診)で難治性うつ病ということでリタリン2錠を30日分処方してもらいました。「健康保険で買える覚せい剤」というのは、本当でした。(2003年2月、20台男性)
[処方薬乱用]
入院前、精神科クリニックから15種類の薬、1日30錠を処方されて、内科処方、4種類と一緒に服用していました。昼間から半分覚醒、半分睡眠状態で、体のふらつきが強くて、ほとんど立っていられませんでした。公共交通機関が使えず、東京からタクシーでホスピタルに入院しました。院長に主たる診断名は「処方薬乱用」と言われました。2ヵ月の入院で、精神科薬が2種類、内科薬が1種類になりました。体調も気分も良好です。(解離性同一性障害、23歳、女性)
[お薬手帳]
リタリン問題がマスコミで取り上げられるようになって、最近、クリニックがリタリンを簡単に処方してくれなくなりました。それでも、私は4ヵ所のクリニックや病院を廻り、各施設の外来で2、3錠ずつのリタリンをもらっていました。最初のクリニックでお薬手帳にリタリン入りの処方薬を書いてもらったので、それを持ってほかのクリニックに行き、「前のクリニックは混んでいて待たされたから、これからはここに通院したい」と言うと、どこでも同じ処方で出してくれました。
NHKの「クロ−ズアップ現代」でリタリン乱用問題の報道を見て、怖くなりました。それからは罪悪感で、2週間分もらった処方薬を2回分だけ使って残りをコンビニのゴミ箱に捨てたり、その翌日にはまた別のクリニックにリタリンをもらいに行ったり、朝、昼はリタリンを飲んで、夜はハルシオンをつかったり、混乱した行動を続けていました。
昨夜、気が狂いそうになり、やっとリタリン依存を認めて専門医を受診しました。(20代後半、04年02月)
[リタリンを処方する医者とマスメディア]
平成13年、インターネットの情報で、リタリンを飲んで気分が良くなった、うつが消えたという人の話を知り、近所の精神科を回って「リタリンをほしい」と言ってみました。半分くらいのところでは、出してくれました。処方してくれた医療機関で、依存性があるという注意をしてくれた医師はいませんでした。リタリンを飲み始めてから、気が大きくなり、キレやすくなりました。親がリタリンと性格変化の関係を疑い、親子喧嘩が増えました。ある日、親とけんかした後に私が自傷行為をして救急車騒ぎになり、親がリタリンを処方する医師に苦情を言ったので、その医師は処方を書かなくなりました。平成14年、私は親に隠れて別の医療機関を探しました。3ヵ所の精神科クリニックでは断られましたが、たまたま行った心療内科では、最初から6錠出してくれました。その医師は、もっともっとというと、徐々に増量して、1日20錠まで出してくれました。院外処方でしたが、薬局でも何も言われませんでした。でも監査があったらしく、平成15年夏に突然、6錠以上は出せなくなった、と言われました。貯めてあったリタリンを使っていましたが、そのストックも底をついたので、慌てて他の医療機関を探したけれど、もうリタリンを出してくれる医療機関は見つかりませんでした。ちょうどNHKでリタリン問題が取り上げられた(H15/10/2)後でした。(32歳、男性)
[覚せい剤乱用者にリタリン処方]
都心の駅から徒歩3分のビルの中にあるクリニックは、簡単にリタリンを出してくれることで薬チュウの仲間内では有名でした。私もそのクリニックに行ってみました。覚せい剤乱用のため2ヵ月の入院治療をして退院1ヵ月後の私には、いくら何でも、リタリンは出してはくれないだろうとは思いながら、「覚せい剤を止めてからうつが続いている。このままだと自分が覚せい剤に戻ってしまいそうで怖い。リタリンがうつ気分に効くと友人が言っているけど、・・・・」とこわごわ聞いてみました。怒鳴りつけられるかと思ったのに、医師は、「それは大変だね。覚せい剤に手を出すよりは良いよね」と言って初診で簡単にリタリンを1日3錠処方してくれました。リタリンの依存性についての注意は一言もありませんでした。たちまちリタリン乱用になり、それでも思いとどまって覚せい剤に手を出す前に依存症の専門病院につながりました。(28歳女性、2005年7月)
[リタリン、ベタナミン]
リタリン乱用が止まらず、1日に6錠(60mg)服用するようになってしまいました。治療対象に、「アルコール、薬物依存」とインターネット・ホームページに書いてある都会のクリニックを受診して、そのことを正直に話したところ、簡単にベタナミン、10mg錠を6錠出してくれました。他にも、ベゲタミンAやハルシオンなど、おいしい薬ばかりです。家に帰って、ネットで調べてみたら、ベタナミン(ぺモリン)はリタリンと同系統の薬物(精神刺激剤)で、作用が若干マイルドで、持続時間が長いことが分かりました。乱用の治療をしに行ったのに、ちょっと変だなとは思いながら、それでも医者の言うことだからと、それらの薬を飲み続けました。減薬の指導などはありません。むしろ初診から処方薬が徐々に増えてきました。前のクリニックにでも、リタリンをもらい続けていたので、結局、乱用薬が増えただけです。8ヵ月後に、風邪を引いて受診できず、ベタナミンが切れたとき、パニックになり、ホスピタルに入院することになりました。
[夜間救急外来の不審患者]
2005年のある日、真夜中、28歳男性が、「目が虚ろ」、「呼びかけに対する応答不良」とのことで、総合病院救急外来につれてこられました。頭部CT、採血に異常なく、尿中薬物(−)、注射痕なく、薬物使用歴確認されません。ジアゼパムを筋注したところ、大声で怒鳴り興奮し始めたため、精神科救急病院に搬送されました。後日、この男性は東京都知事規制薬物の2C-I(いわゆる脱法ドラッグの一種)を3ヵ月前から使用していることが明らかになりました。
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【 犯罪、逮捕、補導、裁判、刑務所 】
[キティちゃんのお財布]
駅前の本屋さんに、キティちゃんのお財布を置き忘れてしまいました。家に帰って気がついて、本屋に電話したら、警察に届けてあるからと親切に電話番号を教えてくれました。事情があって、警察には知らせたくなかったけど、現金3万円とキャッシュカード入りだったので、電話してみました。「それならあるよ。身分を証明するものを持って取りに来てください」という返事。行ったら、財布の特徴を聞かれ、係の人が「これだね」と財布を差し出すので、「はい」と答え、書類にサインして財布を受け取った途端、係りの人が「あ、そうそう。これは何ですか」と財布の中から、小さなビニール袋を取り出しました。
「…」
「これもあなたのだね」と急に厳しい顔。 「はい」と小さな声で答えたら、その場で逮捕されました。ビニール袋は覚せい剤のパケだったのです。(18歳女性)
[万引、所持品検査、留置場]
摂食障害と万引とアルコール薬物乱用がありました。薬物は処方薬と覚せい剤です。化粧品の万引をして捕まり交番に連れてゆかれました。所持品検査をされ、財布の中のガラ管とパケが見つかってしまいました。すぐにその場で逮捕され留置場に入りました。冷房がガンガンに効いて寒いので、効き過ぎだと言ったら、「ウルセー!」の一言。チョー怖くて2週間泣き続けでした。(20歳女性)
[睡眠薬乱用、放火]
摂食障害の辛さから睡眠薬を乱用し始めて2年、ある日、大量の睡眠薬をまとめ飲みした後、自宅に放火してしまいました。半分自殺するつもりでした。自宅は全焼しました。類焼は免れましたが、逮捕されて裁判を受けました。判決は懲役3年でした。(30代、女性)
[有名大学、一流企業、刑務所]
有名大学を卒業して、一流企業に就職しました。 20歳のときに、友人から勧められてマリファナを使いました。その後クスリのことは忘れていましたが、1年後、仕事のストレスから覚せい剤に手を出しました。最初は友人から、3カ月後には売人から直接購入するようになりました。1年後にほかの友人に売っていた時に逮捕され、刑務所行きになりました。
[一度だけ、逮捕、判決]
男友達に「気持が良くなるよ」と勧められ、ちょっとやばいかなとは、思いましたが、酒の勢いもあったし、もらった錠剤を飲みました。その男性に送ってもらって帰宅途中に警察に捕まりました。たった1回だけ使用したその日のことです。後から分かったことですが、男友達は実は警察にマークされていた売人だったようです。2人とも尿検査され、その男性は、私の目の前で、同じ薬を飲んだはずなのに陰性。男性は、自分は偽薬を飲んで、私だけに本物を飲ませたようです。男性は証拠不十分で釈放され、私だけが覚せい剤使用で逮捕されました。留置−取り調べ−裁判。判決はなんと有罪でした。一度だけでも違法行為。疑わしいものを確かめずに使って、捕まれば有罪になります。(20歳女性)
[鑑別所、少年院、保護観察]
自慢じゃないけど、僕は補導歴が長いから、そういうことには詳しいよ。未成年がシンナーやドラッグの使用や売買で捕まると、それまでの補導歴に応じて処分が決まる。補導歴が長いと、鑑別所や少年院に送られる。単なる所持や使用よりウリは処罰が重くて、場合によっては、未成年でも逮捕状が出る。その場合でも、補導歴が短ければ保護観察になる。 保護観察というのは、未成年の場合。成人の場合の執行猶予みたいなもんだね。僕らは、ベントーとかバクダンと言ってた。執行猶予中に他の刑を受けたら、元の刑がプラスされる。これを「ベントー持ってて、バクダンが破裂しちゃった」というんだ。家庭裁判所に出頭を命令されることもあるよ。19歳までが少年院、26歳までが少年刑務所。すごいでしょう。でも耳学問だから、間違っているかもしれないよ。
[保護観察、保護司]
保護観察処分というのは、7項目くらいの遵守事項を決めて、1-2ヵ月に1度、保護観察所に行きます。保護司に会う訳ですけど、ヤク中が正直に「使いました」なんていう訳ないでしょ。薬物乱用依存症のことを知っている保護司なんて聞いたことないですよ。
[カンベ、鑑別所、ビデオ]
カンベというのは、正式には「少年鑑別所送致」。文字通り、調査の一過程の「鑑別」をするところです。2-4週間入ります。3人部屋で部屋ごとに鍵がついています。漫画を読んだり、貼り絵をしたり、覚せい剤やシンナー乱用のビデオを見せられたりします。退屈で死にそうです。
[覚せい剤、リタリン、薬物検査]
薬物乱用仲間とつるんで遊んでいたら、覚せい剤使用の疑いで、尿検査をされました。仲間の一人が陽性で逮捕されました。私は使っていないので、大丈夫だと思ったら、なんと、私も覚せい剤検査が陽性に出ました。絶対にやっていないと主張しました。いろいろ聞かれているうちに分かったのですが、リタリン服用中だったために擬陽性に出たようです。仲間から、「吸着チップ法」では、リタリンによって陽性反応が出ることがある、と聞きました。ただ、この方法で逮捕を逃れようとしても、精密検査ですぐに嘘を見抜かれるとのことです。
[児童自立支援施設]
児童自立支援施設(旧教護院)は、児童の自立支援を目的にした施設で、家庭環境の悪い子が多いようです。私を含めて幼児期の虐待を受けたサバイバーがいましたね。シンナー少年もいましたよ。寮制の学校のようなイメージです。
[少年院、矯正プログラム、薬物乱用]
少年院は、犯罪を犯したり、犯罪傾向があったりする少年を収容する施設です。全国で53ヵ所、4000-4500人の少年が入っています。初等、中等、特別、医療の4種類があり、収容期間としては、一般短期(4-6ヵ月)、特修短期(3-4ヵ月)、長期(2年以内)の3つの処遇があります。院内の矯正プログラムとしては、生活指導、職業指導、教科教育、特別活動、保健体育の5領域があります。分刻みのスケジュールがあり、私語禁止です。俺の知っている少年院仲間の連中は、皆1度くらいはシンナーやったことがありましたね。ほかは、ガンジャやスピード。19歳以上は、少年刑務所に行きます。これは刑務所の一部で、少年院とは違います。
[拘置所、お勧めコース]
シャブを4カ月、その間にあぶりを5回、ポンプを20回しただけなのに。信じていた仲間がちくってしまったらしく、あっさり逮捕されました。良家のお嬢さん、20歳の乙女(私のこと)が留置場で2カ月、拘置所で1日よ。信じられる? 拘置所に入ったことがない皆さん、どんなところか知らないでしょう。昼間は横になってはいけない。麦飯。人生観が変わるわよ。ダイエットにも良いし。お勧めコースね。ちなみに判決は、懲役1年6カ月、執行猶予4年、保護観察付きでした。
[シンナー、マリファナ、覚せい剤、刑務所]
17歳でシンナー、20歳でマリファナ、23歳で覚せい剤を使い始めました。2年後に警察に捕まり、懲役2年、執行猶予4年になりましたが、3年目に再逮捕され、以来、38歳の現在までのほとんどを刑務所の中で過ごしました。
[鑑別所・少年院]
3年前、赤城高原ホスピタルを受診した時、入院を勧められましたが、その後も治療につながらず、1カ月後に覚せい剤所持、使用で逮捕されました。鑑別所に4週間、神奈川県の 少年院に12カ月入りました。それでもやめられず、出所したらすぐに使用し始めました。
[初めての覚せい剤で逮捕]
東北出身の20歳女性です。東京で水商売をしています。つき合い始めて3ヵ月、23歳のBFがいます。BFは前に数回覚せい剤を使った事があるとのことでした。ある日、BFがシャブを持ち込んできました。二人でアブリをやって、すっかりいい気分になった私は、残った覚せい剤の粉末を水に溶かして飲んでしまいました。
それから記憶がなく、気が付いたら、救急病院で点滴をしていました。BFによると、私はシャブ入り溶液を飲んで10分くらいで意識がなくなり、無反応になったので、驚いたBFが救急車を呼んだのです。救急病院ですぐに胃洗浄をしたので、命は救われましたが、朦朧状態の私が「覚せい剤を使った」と話したので、すぐに警察がやってきて、尿検査をされました。そしてその病院で逮捕され、そのまま退院して留置場に入りました。後日、裁判があり、判決は、懲役2年半、執行猶予3年でした。一緒に逮捕されたBFは、懲役3年、執行猶予4年でした。
[シャブ達にお付合い]
シャブ達(シャブダチ、覚せい剤仲間のこと)が幻覚妄想状態で、やくざに追われていると警察に駆け込んで逮捕されました。その男に自分の使うシャブの一部を売りつけた私もお付合いで逮捕されました。執行猶予中だったので、懲役2年6ヵ月になりました。
[香港、大麻、運び屋]
1995年頃、香港で運び屋をしていました。大麻 3.5kg を持っている時に逮捕されて、刑務所に入りました。本当にどういう訳か分かりませんが、半年で出所できました。仲間からも運が良いと言われるし、自分でもなぜだか分かりません。(1995年時23歳女性。 註:2000年に日本で再逮捕されました。2001年2月、29歳で死亡されました)
[拘置所内で処方薬乱用]
34歳の娘は、アルコール・薬物問題と摂食障害があります。処方薬とアルコールを乱用して、交通事故を起こし、逮捕拘留されました。拘置所で10日余り過ごした頃、弁護士を通じて、摂食障害治療のため、処方薬をもらってきて欲しい、と連絡がありました。拘置所に確かめたところ、拘置中にも、他の病院でもらった安定剤をまとめのみしたとのことでした。この際、処方薬を止めた方がいいと思い、依存症の専門医と相談の上、拘置所と弁護士に説明して、処方薬の要請を断りました。
[シンナー、刑務所、初めての正月]
中学2年でシンナーを使い始めました。以来20年間、シンナーとトルエン一筋に生きてきました。アル中の方がましだと思って滅茶苦茶に酒を飲んだり、マリファナの方が害が少ないと聞いて替えようと努力したこともありますが、結局はシンナーにもどってしまいました。18歳で少年院、20歳からは刑務所に入ったり出たり。すべて毒物・劇物取締法違反です。32歳の現在まで、ほとんどを刑務所の中で過ごしました。シャバで正月を迎えるのは、成人して3回目。でも2回はシンナー漬けでしたから、赤城高原ホスピタルでクリーンで新年を迎えたのは、画期的な出来事です。(追加情報:その後、病院を抜け出して外泊、帰院せず、強制退院になりました。数ヵ月後に窃盗で逮捕されました。来年の正月は多分塀の中です)。
[シンナー、覚せい剤、刑務所]
14歳でシンナーを始め、18歳から酒と覚せい剤にはまり、以来3度の逮捕で、刑務所にいた期間、合計約5年を除いて30歳の現在まで、常に覚せい剤を使いつづけていました。赤城高原ホスピタルに入院しましたが、覚せい剤の尿検査を拒否して強制退院になります。
[覚せい剤売り込みメール]
覚せい剤使用を止めて5ヵ月、昔の知人からメールが来ました。
『S、1P、2万円って高いの安いの?』と書いてありました。万が一、捕まった時にも言い逃れができるような書き方ですが、薬物の売り込みです。エス(覚せい剤)のワンパケ(パケというのは、小さなビニール袋の包み。0.5g位の覚せい剤結晶が入っている。ワンパケは、この包み1個ということ)2万円が手に入ったけど、買いますか? という意味です。ちなみに、ワンパケ2万円は、今の相場では、高いです。私は、1万円から1万5千円で買っていました。ワンパケを1日から1週間くらいで消費します。捕まる前2年間は、月に5パケくらいを使っていました。
上記のメールは、すぐに消去し、そのアドレスを受け取り拒否にしました。だって、懲役2年、執行猶予3年ですもの、くわばら、くわばら。(28歳、女性、05/12)
[リタリン、交通事故]
20代後半からリタリンを乱用し始めました。5年後には、少なくても1日12錠、多いときには30錠使うようになりました。効きすぎるので、眠剤や安定剤も一緒に使っていました。僕の場合は、乱用をすると車を乗り出し、あちこちにぶつけるのです。ほとんどが自損事故ですが、本当のところは分かりません。最近3年間で、3台の車を廃車にしました。人身事故がなかったのは奇跡です。本当になかったかどうかは分かりません。なかったと信じたいです。(30歳男性、処方薬依存、06/09)
[ブロン、万引]
1日にブロン40錠以上を乱用していました。僕の場合は、ブロンを使うと気が大きくなって、万引する癖がありました。それも、量販店で、店の運搬用台車を使って、従業員の目の前で堂々と大型の商品を運び出すのです。ほとんどの場合、成功せずに、何度も捕まりました。治療を条件に、何とか起訴猶予になりました。(40代男性、06/09)
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【 乱用、耐性、離脱(禁断)症状 】
[覚せい剤、お遊び、耐性]
私は14歳でした。「怖いから嫌」と言ったのに、先輩は「1回くらいなら大丈夫だよ。お遊びだよ」と言って、私の目の前であぶりをして見せました。私もまねをしてちょっとだけ吸ってみました。それからしばらくは月に1度くらい楽しんでいました。確かに量が増えるということもありませんでした。その頃知り合ったボーイフレンドもたまにあぶりをしていました。その彼から「事情があって今は家に置けないから、しばらく預かっておいて」といって、パケを渡されました。自宅の机の中に隠しておいて時々なめていたら、2週間でなくなってしまいました。困ってしまい、売人を探して新しいパケを買いました。それも2週間でなめ尽くしてしまいました。それから急に量が増えてきて、本格的にあぶりをするようになりました。(16歳女性)
[覚せい剤、耐性]
最初は、0.7gの覚せい剤を10回くらいに分けて使っていました。1日に3回くらい注射しました。3ヵ月後には、1回0.2gを1日に5-6回やるようになりました。1年後には、1日10回、暇さえあれば注射をしていました。頭の中はシャブ一色。白い粉以外のことは何も考えられませんでした。
[処方薬依存、急性中毒、救急車]
処方薬、売薬を毎日100錠は飲んでいました。急性中毒で何度も救急車騒ぎになりました。ある日救命救急室に運ばれる途中、何かの拍子でストレッチャーがガタンと揺れ、どばっと嘔吐しました。出てきたものが、色とりどりの未消化の錠剤。あまりの多さに、新米の看護婦さんが腰をぬかしてしまったと、後で聞きました。(19歳女性)
[ブロン、液と錠剤、白いウンチ]
ちょうど僕のブロン液の使用量が増えてきた頃に、製薬会社はブロン液からエフェドリンを抜きました。でもブロンの錠剤には相変わらず、エフェドリンが入っていたから何の問題もありませんでした。僕もブロン液からブロンの錠剤に変えただけで、乱用は続きました。錠剤は60錠入りが1100円、84錠入りが1500円でした。数カ月後には1瓶では足りなくなりました。1日に100錠以上を飲んでいました。これだけの量の錠剤を飲むと、白いウンチがでます。錠剤のコーティングの色です。何となく嫌なので、錠剤を洗ってみたこともありますが、どの程度洗えばよいのか、その加減が難しいので諦めました。ブロン錠剤乱用者は白いウンチから逃れられません。
[覚せい剤、睡眠薬、奇跡]
朝は覚せい剤を打って目を覚まし、夕方までに5、6回覚せい剤使用、夜は睡眠薬。そうやって24時間、クスリの切れることがありませんでした。ホスピタルに入院しても、抜け出して薬を使い、退院しても覚せい剤に手を出しました。止められたのは本当に奇跡です。
[リスロンS、離脱、痙攣発作]
リスロンSを1日40錠のんでいました。止めて5日目に発作が起こりました。全身の痙攣発作です。3年前にも同じような発作がありました。(23歳男性)
[制汗剤、エイトフォー、万引]
もともとは、睡眠薬や安定剤の乱用をしていましたが、27歳頃から、制汗剤のエイトフォー(8x4と記載されています)の乱用(吸引)になりました。入院中のホスピタルに持ち込んだのを見つけられ、強制退院になりました。2年後に、エイトフォーの万引で3回捕まり、刑務所に入ることになりました。(院長の経験したエイトフォー乱用者はこれまでに多分5人位です。全て女性です)
[覚せい剤、水道水]
覚せい剤が切れた時には、苦しくて苦しくて、注射器に水道水を吸って静注したこともありました。何でもいいから体に入れたくなるのです。
[覚せい剤、致死量]
覚せい剤の致死量が、120mgから150mgと聞いて驚きました。おいらはいつも300mg位を静脈注射していたからです。致死量の2倍を使っていたことになります。仲間の中には、1回で1g を使う人もいます。耐性ができて、使用量がどんどん増えるのが覚せい剤の特徴の1つだそうです。それにしても、致死量以上の覚せい剤を使っていたなんて、知りませんでした。だから覚せい剤の急性中毒でよく死ぬんだ、と分かりました。
[精神賦活剤、個人輸入]
アッパー系の薬物(精神賦活剤)に興味を持って、リタリン、エスタロンモカ(カフェインが主成分)を併用してました。それだけでは止まらず、モダニフィール、デクサトリムなどを個人輸入して使いました。シャブを使うか入院するか考えた末に専門病院に入院しました。
[コンビニ、ガスパン]
息子がガスパン(ガスライターのガス)を乱用していることは、コンビニの店長は知っていたと思います。だって、ガスボンベを毎日10本も買いに行くんですもの。息子が買い占めて在庫がなくなってしまうんです。入荷したからと電話連絡があったこともあります。私が売らないようにお願いしても、全く聞いてくれません。最後に保健所に連絡してみました。一応話は聞いてくれました。何か指導をしてくれたかどうかはわからないけど、売り込みはなくなりました。もっとも息子は隣町まで買いに行くので効果はありませんでしたけど。睡眠薬、安定剤を大量売りする薬局の方は、保健所に話したらすぐに指導してくれて、少しは効果がありました。
[覚せい剤、禁断症状]
エスが切れた時って、最悪です。2、3日は寝たきりになります。時々起きて、ガバガバ食ってまた寝る。何にもする気がしないし、メチャむかつく。そんな時、親が何か言ってきたら、怒鳴る。それでもガタガタぬかしやがると、殴ってやる(18歳、女性)。
[入院中、尿検査]
ホスピタルに入院して2ヵ月、入院中の仲間の一人が、外泊時に覚せい剤を使ったらしくて、尿検査陽性で警察に連絡が行ったと聞いて不安でたまりません。今の自分だと、目の前にシャブを出されたら、多分手を出してしまうと思います。
[有機溶剤一筋]
有機溶剤の乱用歴12年目です。他の薬も一通りはやりましたが、すぐにシンナーに戻りました。最近では農ポリ用の接着剤をもっぱら使っています。農資材センターで購入します。1本500-580円です。1回に4本くらいをまとめて買い、2日で使い切ります。売り場の人も私が乱用していることは知っています。シンナー臭をプンプンさせながら買いに行っても売ってくれます。「お得意様」です。
[覚せい剤、寝たきり]
覚せい剤を使用し始めて6ヵ月、妄想状態で刃物を振り回すので、母が警察に連絡しました。やってきた警察官が、昼間から寝ている私を見て、「シャブをやると寝られなくなる。寝すぎるのはシャブじゃない。睡眠薬の使いすぎだろう」と言って、尿検査もせずに帰ってしまいました。もちろん私はシャブをやっていました。ちょうどシャブが切れて禁断症状の寝たきり状態だったのです。確かに苦しいので睡眠薬も使っていましたが、警察官が、シャブ切れの寝たきりも知らないなんて、驚きです。
[不登校、非行仲間、覚せい剤、テレクラ]
娘は、中学3年の2学期から不登校になりました。なんとか中学を卒業させてもらいましたが、高校に入学したものの、1度も登校しませんでした。非行仲間と遊んでいるうちに、覚せい剤をやりはじめ、3カ月後には、もうテレクラ売春をしていました。私がそのことを知ったのは、さらに6カ月後でした。娘の部屋で覚せい剤の入ったビニール袋を見つけ、取り上げようとしたところ、娘が私を突き飛ばして、袋を取り返したので、夫と私が協力して力づくで袋を取り上げました。その時、白い粉末が畳の上にこぼれました。15歳の娘は這いつくばって畳にこぼれた粉をなめました。一人娘のその姿に、私たちはただ泣くばかりでした。
[合法ドラッグ、ZAPP]
アダルトグッズ店で、合法ドラッグ(脱法ドラッグ)のZAPPというのを買って使ってみたら、たちまちのうちにハマってしまい、3週後には専門病院へ入院することになりました。5年前にやめたスピード(覚せい剤)とほとんど同じ効果があるような気がしました。(28歳男性)
[かぜ薬乱用、離脱症状]
かぜ薬を3年乱用しています。常用量の3倍を毎日飲んでいました。3ヵ月前、服用をやめたところ、イライラと下痢、頭痛、嘔気、不眠が出現、1週間続きました。死ぬ思いをしてやっと止めたのに、先週からまた使い出してホスピタルに入院することになりました。(45歳、女性)
[リタリンでうつが劇的に改善?]
リタリン1日4錠からスタートしました。これまで1年以上すっきりしなかったうつ症状が劇的に好転し、その医師には感謝感謝でした。半年後に、その医師が転勤になりました。ちょうどその頃、リタリンの効果が少なくなり、後任の医師に、6錠に増量してもらいました。2ヵ月後には、8錠飲まないと元気が出なくなりました。さらに増量を求めたところ、後任の医師が初診の医師に電話で相談しました。「増やしてはいけない。オリに入れてでも元の量に戻せ」と言われたとのことで、4錠に戻されました。でも、もうその頃には、すっかり依存が出来上がっていて、とても4錠では我慢ができません。医者回りをして、10錠かき集めて飲んでいました。医師の勧めで、死ぬほどの苦痛に耐えながら2週間やめては、再使用をするパターンを2ヵ月繰り返しましたが、力尽きて、専門病院に入院することになりました。(36歳、主婦)
[合法ドラッグ、エフェドラ]
合法ドラッグ店で勧められて、エフェドラ入りのサプリを使い始めました。シャブほどには気持ち良くなかったけれど、4週後に、どうにも我慢できなくなって3年やめていた覚せい剤に戻ってしまいました。(48歳、男性、元覚せい剤依存乱用者)
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【 依存、 経済問題 】
[夢で良かった]
シャブをやめて6ヵ月。昨夜、自分が薬物を使っている夢を見て飛び起きました。冷汗びっしょりでした。夢で良かった。まだ目の前に出されたら、断る自信がありません。
[シンナー、価格、おまけ]
新宿あたりだと、赤マムシかリポビタンの瓶に入ったシンナー1本が、2300円から2500円。1万円だとおまけをつけてくれて5本。僕は常連だったからいつでも2000円にしてもらっていました。シンナーの売人とも仲良くなりました。人より安く買って、すごく得した気分になりました。
[純トロ、Cビン]
中学3年の時、非行仲間に入り、毎日シンナー吸ってラリっていました。純トロのCビン(オロナミンC)が3000円、フタビンが5000円、リッタービンが1万2千円、2リッタービンが18000円でした。だけどみんなただであげたりもらったりしていました。
[覚せい剤、女性売人]
覚せい剤を止めて3カ月目、突然シャブモードに入りました。こうなるともう全ての思考過程がストップして、シャブを体に入れるまで、ほかのことは考えられません。とりあえず、2万円でワンパケ買いました。調べてみたら0.7g しかありませんでした。高い買物ですが、こういうときは、そんなことは言っていられません。でも悔しいので、1g7000円のユキネタ(純正品)を20個まとめ買いして、それを小分けして倍ぐらいの価格で売りさばきました。そんなことをしているうちに結局、元の売人生活に戻ってしまいました。私がシャブを始めたのは5年前、16歳の時だけど、その少し前までは、1g 4万円位したというから、これでも随分安くなったのです。私のような小娘の売人だと、警戒心が緩むみたいです。売るのは難しくありませんでした。わたし自身に幻覚や妄想が出るまでは、困ることは何もありませんでした。
[覚せい剤、1日5万円、倒産]
27歳から覚せい剤を始めました。もっぱらアブリです。急速に使用量が増えて、1年後には1回にワンパケ(0.7g、18,000円)使い、多い日にはこれを1日3回するようになりました。1日5万円以上です。家業の活動資金をつぎ込み、被害妄想で事業は目茶苦茶。4年後に家業を倒産させてしまいました。
[覚せい剤、ドラッグ代]
覚せい剤をやり始めてしばらくして、はまってしまうと、1カ月にドラッグ代が20万円以上かかります。人によっては、100万円以上かかります。こんな大金を払い続けられる人なんかいません。こうなると、女性ならたいていは売春します。男性でも売春する人もいるけど、機会が少ない。だからドラッグの売人かほかの犯罪者になるかしかありません。ブスで売れない女も男と同じだね。やり続けるには、犯罪者になるしかないよ。
[風俗+ドラッグ、収支]
高校卒業して1年以内に水商売を始め、2カ月後には風俗の仕事を始めました。月収50-100万円、ドラッグ代は、10-20万円です。大麻、コカイン、LSDなど、一通りはやりました。こういう生活を5年つづけました。逮捕歴はありません。ドラッグと風俗をやめて半年になります。200万円の預金があるから、これがあるうちに、依存症と恐怖症状(ヒトが怖い)を治してください。(25歳女性)
[覚せい剤、ドラッグ代]
シャブをやり始めて5年で、4000万円以上をドラッグ代につぎ込みました。先祖代々受け継いできた山林を売り払ってしまいました。自分だけじゃなく、親兄弟の財産までつぎ込みました。
[流通経路、純度、ニセモノ]
流通経路の上の方で手に入れるほど、シャブの純度が高くて良く効きます。末端の方のは混ぜ物が多いですね。全くのニセモノを買わされた人の話も聞いたけど、私自身は今まで、偽物を掴まされたことはありません。 ワンパケの量が少なめなのはいつものこと。
[ガセネタ、とうしろ、感謝?]
ガセネタ売った仲間は多いけど、買った奴の話は聞いたことないね。そんなのにひっかかるのは、とうしろだよ。だまされたお陰でシャブに手を出さずに済んだわけだから、感謝すべきだね。
[耐性、ブロン]
ブロンは1本が800円。始めたころは1、2本でしたが、すぐに量が増えてきました。多いときには、1日10本は使っていました。もちろんお金が足りなくなって、半分くらいは万引しました。 だんだん閉じこもって使い続けるようになりました。対人関係がめんどうだし、動くのがだるいからです。
[ワンパケ、市場価格]
S県F市は、シャブ使用者が多いことで有名です。余りに多いので、やばい小売はやめて、最低ワンパケしか売らなくなったと聞きました。ワンパケといっても元締めのワンパケは、1グラム、末端のワンパケは、0.3グラムくらいです。これが、1万円から1万5千円です。4、5回に分けて使います。
[覚せい剤、ワンパケ、耐性]
最初は、ワンパケを2万円で買って、これを4、5回に分けて使いました。私の場合、半年後には、1回でワンパケを使っていました。 毎日使うと、月に60万円かかります。 そしてそのうちに、1日2回使うようになりました。売春をしてもお金が足りません。捕まってほっとしました。
[覚せい剤、診察室、本物?]
先週の面接の時、先生の目の前で診察室の洗面台に流した白い粉。あれって本物のシャブだったんですよ。4パケ。町で買えば、大体6万円くらい。先生が「ほしい」ってひとこと言ってくれたらあげたのに。えっ、冗談よ!ジョーダン。
[インターネット、個人輸入、覚せい剤]
インターネットで海外の薬物を個人輸入しました。もちろん日本の業者経由です。ゾロフト(28錠、約5000円)、メラトニン(120錠、約2500円)、モダニフィール(80錠、約1万円)、デクサトリム(40錠、5000―6000円)などです。そのほか、ネット仲間からも薬物を購入しました。仲間はクリニックをはしごして、薬物をためこんでいるようでした。私は薬漬け、借金漬けになって専門病院に入院しました。
[市販薬と処方薬の併用]
最初はブロムワレリル尿素のリスロンSやウットを薬局で購入していましたが、単品での服用はコストパーフォーマンスが悪いので、いつもマイナートランキライザーと併用していました。
[覚せい剤、コシャ、不治の病?]
シャブのコシャ(小売り)を8年やっていました。私の知る限りでは、ある程度以上の依存状態になると、使い続けて捕まるか死ぬまでシャブは止められません。捕まった場合には、刑務所を出てくればまたやり始めます。だから、シャブの客は一度しっかりつかめば確実に数年間以上儲かります。時々自分自身が捕まる危険を除けば、コシャはいい商売です。おっと、例外を言うのを忘れていました。専門病院と治療で止められた人がいたと聞いたことがあります。
[合法ドラッグ、違法薬物]
合法ドラッグにはまってしまって止められなくなっている仲間や、その挙句、結局は元の違法薬物(スピード、エクスタシーなど)に戻ってしまう仲間を見ていると、怖いとは思うけど、・・・・・・。でも、今は合法のAMTが来年には違法になるらしい、というような噂を聞くと、使いたくて使いたくてうずうずしてきます。「合法の今のうちに」とか「1回だけなら」とか思ってしまうんです。(クリーン3ヵ月、25歳女性。AMTの通称はデイトリッパー)
[国際情勢と覚せい剤の価格]
北朝鮮からの覚せい剤密輸入の取締りが厳しくなって、ブツの入手が難しくなりました。価格も高くなったし、手に入っても不純物が多くなりました。前に台湾ルートが摘発された時にも、1年間で価格が2倍くらいになったのを覚えています。シャブの価格も国際情勢を反映しているのですね。でも、末端での覚せい剤の価格なんて、相場があってないようなもの、いい加減です。欲しい時には高いとか安いとか言ってられません(2003年5月)。
[脱法ドラッグ、GHB]
合法(脱法)ドラッグ、GHB(ガンマヒドロキシ酪酸)の浮遊感・陶酔感が病みつきになり、止められなくなりました。過剰摂取すると、意識消失や昏睡を起こし、ひどい場合は死亡してしまうといわれても、2001年10月に麻薬に指定されたと聞いても、3ヵ月前まで、何とかして入手して使い続けていました。(28歳、男性、2003年)
[合法ドラッグ依存]
最初は、渋谷の屋台で合法ドラッグを購入しました。そこで購入した同じモノがアダルトショップで売られているのを見つけ、次々に試すことになり、そうこうしているうちに病みつきになりました。ラッシュ(Rush、ニトライト系、ビデオクリーナーとして売られることがある)、ニトライド、ハルマラ(沸騰した湯に入れる)、ウッドローズ、マジックマッシュルーム、エフェドラ、ガンマックス、コンボス(コンボスエクスタシー2)などです。ぼくは、ガンマックスとコンボスの併用が一番気に入りました。
2年後に、丸2日間、メチロン(Methylone。MDMA類似化合物。解熱鎮痛消炎剤、スルピリンのブランド名、Methylonとは関係がない)、2CT-21(粉末ケミカル、幻覚が見える)とガンクリスタル2(GUN CRYSTAL2; アロマリキッド系)をやり続け赤城高原ホスピタルに入院になりました。合法ドラッグが主体の薬物依存症は珍しいと言われました。
[覚せい剤をやり続けたわけ]
初めはやせたいので覚せい剤を試してみました。あぶりです。1ヵ月後には、気持ちがいいので、あぶりをやり続けました。3ヵ月後には、シャブがないと動けないので、全ての金を使って使い続けました。少しでも効果が増えるようにあぶりでなくウチ(打ち?射ち?、静脈注射のこと)にしました。(28歳、女性、覚せい剤依存+摂食障害)
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文責:竹村道夫(2000/06)
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